~この世界を素晴らしく~

本を読み、映画を観て、音楽を聴き子供を育てる。「どこにでもいる誰でもない私」の日常の記憶。

『T2 トレインスポッティング』

 

T2 トレインスポッティング (字幕版)

T2 トレインスポッティング (字幕版)

  • 発売日: 2017/08/09
  • メディア: Prime Video
 

 

90年代後半に青春を過ごした私の様な人にとってはおなじみの”あの映画”の続編。

 

あの頃はレコードショップや古着店、雑貨屋などいたるところにユアン・マクレガーの写ったポースターがあって、あっちこっちからイギー・ポップアンダーワールドが聞こえていた記憶。

 

それからしばらくして私も青春時代を通り過ぎ、時代の方もレコードショップや古着屋なんか必要としなくなったように思える20年後の現在。(たまに剥がすのを忘れられた色褪せたオレンジ色のポスターを目にすることはあったが。)彼らは今どうしているのか?という映画。

 

もともと『トレインスポッティング』自体が純粋な名作映画といったわけではなく、あの時代をみごとに切り取った映画という(あくまで私の)評価なので、けっして同世代以外の人が別の時代になっても観る映画でもない。

 

なのでどう考えてもあの頃を通過した人たちだけに向けた映画だと思う。

 

前置きはこれくらいにしてかつてのクズ野郎達の20年後はどうだったのかというと、まあ予想通り「クズ野郎のままでした」ということなのだが、だからといって全く悲壮感のようなものは(前作同様に)感じさせない。

 

20年経って変わった人物としては弁護士になっているかつての女の子だけだが、そもそも彼女は主人公たちよりも若い世代だったので見事に現代社会に適応できる若者世代としての登場で相変わらず間抜けのままのおっさんたちとの対比になっている。

 

”ある特定の世代(ターゲット)に向けたしかも前作とやっている事はほぼ同じの登場人物が20年歳を取っただけの映画”といった書き方をすると「なんだ、ただの同窓会映画じゃないか」と思われそうなのだが、実際にそうなのだ。だから私には”良い映画”だったのだ。

 

知らない世代の同窓会に顔を出したところでつまらないのは当然で、同窓会は自分の年代に出席しなければ意味はない。(あたりまえだけど)

 

あれからあっという間に髭とフォースを携えてオビ・ワン・ケノービになってしまったユアン・マクレガーが嬉々とした表情でスパッドにゲロを吹きかけられたり、いい歳して全力疾走で逃げ回ったりしているのを眺めていると、あの頃の”あいつ”や”あの娘”たちは何処で何をしているのだろうか?とふと考えてしまう、そんな今はおっさんやおばさんになった我々に向けた映画なのでした。