~この世界を素晴らしく~

本を読み、映画を観て、音楽を聴き子供を育てる。「どこにでもいる誰でもない私」の日常の記憶。

『誰が音楽をタダにした?巨大産業をぶっ潰した男たち』 スティーヴン・ウィット 感想

 

 

 

CD→ダウンロード→ストリーミングと音楽の聴き方の劇的な変化を経て、いつしか音楽はタダで楽しむものになりつつある現代。

 

その中でも音楽の入手方法をCDの購入ではなくダウンロードに変えてしまったmp3という圧縮規格の誕生から始まる本書。

 

ドイツの研究機関で開発されたmp3が当初はフィリップスなどの(mp2という別規格を推す)巨大資本の妨害によって規格競争で敗れたにもかかわらず、なぜその後音楽ファイルのメインストリームとなりえたのか?を追いかける。

 

その過程で重要な役割を果たすインターネット上でファイルシェアされたいわゆる海賊版コピーに関わる人物たちにもスポットを当てている。(90年代末に学生時代を過ごした著者もかつて海賊版ファイルのユーザーだった)

 

さらに当時のワーナーミュージックのCEOとして音楽界のスター(ドクタードレー、スヌープドッグ、エミネム、ジェイZ等)を発掘しまくっていたダグ・モリスの視点から音楽業界側のストーリーが語られる。

 

上記の3視点の物語それぞれが独立したジャンル(mp3開発=技術開発の苦労や挫折を経て成功に至るストーリー、海賊版シーン=当時のオタク、コンピューター文化を振り返りつつ、違法なファイルシェアがどのように組織化されていくのかを追う社会派ドキュメント、ダグ・モリス=音楽業界が巨大産業化する過程と仕組みを種明かししつつ当時の音楽トレンドの推移を振り返る。)として楽しめる物語でありながら、各々の行動が影響し合いやがて音楽がデータとして流通し、CD産業の衰退という結末へ向かっていく大きな流れとなり”誰が音楽をタダにしたのか?”を解き明かしていく。

 

同時代を音楽を聴きながらもこの物語の中心からは離れた日本に住む私には2000年前後のファイルシェアの大手ナップスターの盛り上がりは何となく分かるかな?という感じだが、もちろんipodが登場した以降のダウンロードがCDを追い抜くまでの流れは肌で実感した記憶がある。

 

ただし同時に個人的にはあれ程までに音楽に持っていた情熱のようなものを失っていく過程とも重なる時期であった。

 

海賊版データを拡散させていたシーンの登場人物たちのように私も歳を取り、仕事の忙しさや結婚や子育ての生活の中で別の楽しみを見つけていったともいえるのかもしれないが実はもう一つ音楽から離れていった理由ではないかと自己分析した要因がある。

 

それはインターネットの存在だ。

 

ネットなるものが存在しなかった時代から2000年代初期くらいまではCDやレコードの情報を入手する手段としてはどれだけ音楽の為に自分の時間を費やしたか?が重要だったと思う。

 

雑誌を読み、(当時はrokin'on、rokin'on japan、buzz、crossbeatsnoozer等とにかく活字の多い媒体を空いた時間に読みまくっていた)CDショップの視聴機をかたっぱしから聴くので滞在時間が数時間に及び、中古ショップは定期的に巡回して前回は無かった新入荷をチェックする日々。

 

とにかく食う・寝る・たまに勉強やバイトの時間以外のほぼ全てを音楽の情報収集に費やしていたような気がする16~22歳くらまでの私。

 

就職して自由な時間が減ってしまいこれまでよりも効率的に音楽を探さなくてはという時期に登場したネット通販やダウンロードサイト。はじめは便利だと思っていたがどうやら私には便利過ぎたようだ。

 

予約せずとも手に入る新譜や限定版。苦労して手に入れた廃盤アルバムがあっさりと見つかるダウンロードサイト。さらにはおせっかいにもオススメまで提案してくる有様はまるでこれまでの自分の行動が無駄なものだったような気にさせられ、急速に音楽を漁る行為の熱が冷めていったように思う。

 

 

やがて音楽ストリーミングの時代になり、どこかに押しやられたCDやレコードを引っ張り出すのが面倒でストリーミングサービスから探し出してはポツリポツリと聞き始めた。

 

それから最近は時間やコストがかからない利点を活用してかつては物理的にフォローできなかったジャンル(クラッシック等)を開拓して聴いている。

 

きっと今の若い世代はこの便利さを徹底的の利用して過去の世代よりも何倍も効率的にたくさんの音楽を吸収して我々が想像もできない新しい音楽を生み出していくのだろうか。

 

もちろんそれはさらにもっと若い世代に向けた音楽で私のようなおじさんには関係のない話だけど。