『三体 Ⅲ 死神永生』 劉 慈欣
わりとエンターテインメントよりだと思っていた三体シリーズの完結編。
これまでと同じく上下巻合わせて約800ページのボリューム。
しかしコールドスリープを駆使して時間を飛び越えまくる主人公たちが経験する時代は一気に数世紀をまたぐ長大な時空の旅となる。
前巻で三体世界からの脅威はある程度おさまり、三体世界と地球人類との共存関係からスタートし、やがて三体世界が事実上崩壊した後はさらなる未知の文明からの攻撃に備えなければならない人類の歩みがメインストーリーとなる。
三体世界との情報交換により手に入れた新しい技術と、智子の妨害が無くなったことにより再開された基礎研究の発展により他文明からの黒暗森林攻撃に対処すべく邁進する人類。
やがて多くの人類が地球を離れた時代に突入する下巻からはこれまでのエンタメSFの様式から一気にハードSFの領域に突入したような印象をうける。
地球外生命との戦争というライトなSFを入り口としたストーリーがその風呂敷を広げまくってとてつもなく壮大な世界観と時間軸をまたぐハードなSFとして決着するこの完結編は古くから続くハードSFのファンにとっては読み応えのある展開で、対してエンターテインメントとしてのSFを求めるファンにとっては前巻の『黒暗森林』の方が楽しめるのではないか?との印象だった。
『ザ・ロード』 コーマック・マッカーシー 黒原 敏行訳
終末を迎えた(おそらく核戦争?)以降の世界を生きる父と息子が南を目指して歩き続ける日々の物語。
文明は破壊され、ほとんどの生物は死に絶え、僅かな人類が灰に包まれた世界に残されている。
乏しい資源を奪い合い、時に弱い人間すら食料とされうる極限の世界で父親はただひたすら息子を守ることだけを支えに歩き続ける。
終末後の世界しか知らない息子は狂気に飲み込まれた人々を恐れながらも自分達親子は善いものであり続けたいと願い、困った人達にも手を差し伸べたいと思う。
過酷な環境で次第に病に侵され、徐々に死を意識する父親だが狂った世界でも良心を持ち続ける我が子の存在を唯一の希望として先に世界に絶望してこの世を去った妻の後は追わず、最期の時まで生き続けようとする。
章立ても無く、ただひたすらに親子の道すじを追い、時に過去の回想を挟みながら続く語り口が暗く辛い為、序盤は読むのがしんどくなりかけていた。
しかしこの物語の構造が厳しい社会を生きる人の中にある希望と絶望の対比と同じではないかと思えてくるとその行方がどうなるのか気になり、最後まで読み切ってしまった。
子供の未来という希望を糧に私は過酷な現実を生き抜くことが出来るだろうか?
『春にして君を離れ』 アガサ・クリスティー 中村 妙子訳
第二次大戦が始まる数年前のイギリス。田舎の弁護士の妻として3人の子育てを終え夫と二人の人生を送り始めている主人公ジョーン。
結婚後中東に住む末娘の体調不良を見舞うためバグダッドへ向かい、イギリスへ帰る途中、砂漠の中の駅に数日足止めを食らうこととなり、砂漠の真ん中の宿泊所に取り残されたジョーンはろくに話す相手もなく、手持ちの本も読み尽くし予期せぬ孤独の中で自分自身と向き合う。
寄宿女学校を卒業し、一族が弁護士事務所を経営する夫ロドニーに出会い、結婚。3人の子供に恵まれ、事務所の共同経営者として忙しく働く夫を支えながら女中やコックなどの使用人を使い家事を切り盛りしてきた自らの半生を、ジョーンは上手くこなしてきたと考えている。
しかし旅先で出会ったかつての旧友の一言をきっかけに改めて振り返る彼女の人生は各場面に本人が気づいていない(もしくはあえて見えないようにしていた)夫や子供達とのズレか随所に潜んでいる。
農場経営を望む夫の希望に対して家族の将来を理由に取り合わない妻。子供達の人生の選択に際して親の責務を最優先して本人の意向を汲む事が出来ない母親。
家族や他人を思いやる気持ちに欠ける彼女に対して時折浴びせられる皮肉の言葉にもその意味を感じる事が出来ないジョーン。
日々の主婦業、母親業を理由に目をそらしてきた周りとのズレにふと取り残された砂漠の真ん中で逃げ場もなく自分自身と向き合う過程で気づいてしまう。
無自覚に他人を傷つけているジョーンのキャラクターが少しづつ暴かれていく話を読み進めるうちに「こんな人確かに居るなあ。」というあるあるの感情から「周りの気持ちに気づけない愚かな人格が読み手の自分の中にもあるのではないか?」という恐怖に変わってくる。
自らの愚かしさに気付けない人ともはやその人が変わること諦めてしまった人々とのやり取りは一見コメディの様でもあるが決して分かり合えない人間がともに過ごさなければならないという人生の絶望を感じさせる。
そんな絶望を抱えながらも子供達に真摯に向き合い、変わることがない妻に愛情を向ける終盤の夫ロドニーのモノローグはこの物語の救いのようでもあり、また自らの無自覚さに恐怖した読者に対しての希望のようでもあった。
許されざる恋へと向かおうとする娘を説得する場面でロドニーの言う「自らの望む仕事に就く事が出来ない男は男であって男でない」というセリフが私には一番しんどい言葉でした…。
『グリーンブック』
実在した黒人ピアニストと彼の運転手を勤めたイタリア系白人の関係を基にしたロードムービー+コメディ。
クラッシックの専門教育を受け、教養にも富む黒人ピアニスト ドン・シャーリー。
演奏ツアーの運転手としてクラブ コパカバーナで用心棒をしていたトニーを雇う。
肌の色だけでなく生まれ育った環境、主義主張、嗜好にいたるまで何もかも違う二人が有色人種が合法的に差別されていた時代の南部アメリカを回るのだから決してノントラブルで済むはずが無く、各地で大小さまざまな問題に遭遇する。
そんな旅を経て2人の友情が深まって…、というストーリー。
正反対の2人がバディとなって旅をするという設定もオーソドックスなものだし、ストーリーの流れも割とシンプル、最後は二人でハッピーエンド~と素直に楽しめる内容だがこれをポリティカルコレクトネスやブラック・ライヴス・マターといった時代に鑑賞するとどうしてもコメディには不要なシリアスな側面で観てしまいがちになってしまう。
ただそういった微妙なバランスで成り立っている作品だからこその評価(アカデミー賞)ともいえるのだろうか。
きっとこれが80年代の映画ならビバリーヒルズコップのような純粋なコメディとして賞レースとは無縁の(それでも映画史に残る)作品になっていたのだろうかと空想する。
『サンセット・パーク』 ポール・オースター 柴田 元幸訳 と『我等の生涯の最良の年』
原書では2010年に発行されたポール・オースターの小説『サンセット・パーク』
2008~2009年のリーマンショックの不況下、ニューヨークの外れの空き家に不法占拠の形で住む3人の男女とそこに加わることとなるマイルズとその両親達による群像劇。
マイルズは十代の頃に亡くなった血のつながらない兄の死に対する罪悪感から両親の元を離れ、隠れるように過ごしていたがある日恋に落ちた少女がきっかけでニューヨークに帰ってくることになる。
マイルズを招き入れる空き家の住人もみな同世代(三十手前)、うまく人生を生きられない事情を抱えながらもなんとか日々を過ごしている状態。
その中の一人アリスが博士論文として取り組む題材として往年の映画『我等の生涯の最良の年』がたびたび取り上げられる。
1946年公開の第二次大戦の帰還兵をテーマとした映画でウィリアム・ワイラー(ローマの休日、ベン・ハー、嵐が丘etc.)監督による名作映画。
戦争が終わり、故国へ帰ってきた3人の男たちが社会に復帰し、愛を取り戻していく様を描いたストーリー。
戦地での勲章も役に立たず職探しに困窮する元大尉のフレッド、かつての高給取りの仕事に復帰しながらも酒に溺れつつある元軍曹アル、両手を失くし義手で生きねばならぬ己の人生と婚約者との関係に悩む元水兵ホーマー。
『サンセット・パーク』と『我等の生涯~』は社会に対する生きづらさを抱えた者たちによる群像劇という共通項があるように感じるストーリーではあるが『我等の~』の映画の方は彼らを愛する女性たちの存在が三人の人生をより良い方向へ向かわせる流れとなっていくのに対して、『サンセット・パーク』に住む者たちは悩みを抱えたままトラブルに巻き込まれつつ物語を終える。
父親との関係を取り戻しつつあるマイルズの若干の希望を感じさせる終わり方で物語は閉じられるが、その他の者たちについては「最悪なんとか生きていくだろう」くらいのニュアンスしか感じられず、けっして明るい終わりではない。(そこが1940年代と2010年代の時代の違いというべきなのだろうか)
10年の間を置いて翻訳された『サンセット・パーク』をコロナ禍という新たな不安の時代に読む。
リーマンショックの頃、私も空き家の住人達と同じくらいの年齢で(29~30歳)結婚したばかりなのに大きな不況の波にさらされた。
幸いにもなんとかやっていく事が出来たけど、もしあの時独りだったら実はもっと酷い事になっていたのではと時折思うことがある。
もし『サンセット・パーク』の話が続いているとしてかつての空き家の住人たちはいまどうしているだろうか?自らを支えてくれる愛情を手に入れてあの映画の登場人物たちの様により良い人生に向かっているのだろうか?それとも…。
『心は孤独な狩人』 カーソン・マッカラーズ 村上春樹 訳
1930年代のアメリカ(南部)を舞台に心に孤独を抱える5人の登場人物の物語。
政治信条や人種差別、性嗜好や思春期などの問題で世間に馴染む事が出来ない人達の孤独な心情と彼らと関わることになる一人の唖の男。
心に抱える想いを唖の男に話し、伝え、彼とともに過ごす時間が唯一の癒しとなっていく彼ら。
相手の唇から多少は言葉を理解する事が出来る唖の男もまた、たった一人の友人と心が通じ合えないという孤独を抱えている。
全ての登場人物の抱える孤独は決して解消されることはなく、原因となる問題もまた悲惨な現実の中で解決されることはない。
ただ物語は各人物の心の闇にそっと近づき、丁寧にその孤独を描写する。
その描き方を読むうちに自分の心の孤独をなぞっているような感覚になり、救いのない物語なのに何故か自分の孤独も癒されたような気がしてしまう。
最後の場面の朝日を待つ描写については未来への希望なのかそれともこれまでと同じ日々が続くという現実の厳しさについてなのか今の自分には判断できなかった。
この登場人物たち程絶望的な状況ではないけれど私の心にも孤独は常に存在する。
その孤独は決して救われることはなく、ずっと心の中に住み続けると思うけれどその孤独があるからこの様な物語に心が動かされることがあるのだと思える本だった。
2020年~2021年の冬休み
2020年12月~2021年1月の事をいくつか。
今年も誕生日が来た。
自分の誕生日が他と同じ普通の一日に思えるようになったのは何歳くらいからだったろうか?
高校生くらいまでは自分が少しだけ大人に近づく日のような気がしていたんだけど、今はどちらかといえば少しだけ人生の終わりに近づいているような気がするようになってしまった。(そう言えばアニメの一休さんでそんな話があったような。)
上の娘から誕生日プレゼントをもらう。
「よく本を読んでいるから。」と手作りのしおり。
贈る相手の事を想ってプレゼントを考えてくれたことが少しうれしい。
妻からは「好きなものを自分で適当にどうぞ」と割とおざなりな一言。
今の自分が欲しいものは何だ?と自問してみるが「自由な時間」とか「将来の不安が無くなること」みたいな抽象的な答えしか思いつかないので素直にAmazonで検索してみる。
最近物置から引っ張り出してきたギターを弾くときに使うアンプを選んでみた。
Bluetooth対応でスマホでバッキングを鳴らしながらシールドで繋いだギターの音を出すという使い方ができるやつでサイズも小さく結構使い勝手の良いやつだった。
自分の誕生日が過ぎるとクリスマスがやってくる。
子供たち3人からサンタへのお願いを聞き出すことにする。
上の娘2人はSwitchのゲームソフトとのことらしい。
うちにはまだSwitchの本体すらないんだけど。
2歳の息子には親が代わりに喜びそうなものを考えてみた。
最近やたらとトラックが気になるわが息子。車に乗せて走っていると道行くトラックにいちいち「トラック!」と大声で反応するのでトラックのおもちゃをサンタに頼む。
クリスマスが過ぎて仕事納めも終わり子供たちも冬休みに入る。
妻が使い道の無い商品券などをやりくりして買ったSwitchの本体とサンタにもらったソフトのおかげで2人の娘たちにはそこそこたのしい冬休みのようだ。
息子もトラックを手に家中をドライブしている。
正月休みの短い妻は30日まで仕事が続くので家に残された私は掃除に勤しむ。
風呂やらトイレやらキッチンの換気扇やらとりあえず大掃除っぽい箇所をやっつけているとあっという間に夕方近くに。
夕飯の準備までの少ない時間を使って休みの間にやろうと思っていた古いギターのメンテを行う。
中3の時にお年玉などをかき集めて買った初めてのギターで当時のラインナップでもかなり安いやつだった。(調べたら当時の定価¥33000-)
この冬によく聞くJulian Lageの動画でテレキャスを弾いているのを観て「テレキャス良いな~」と思っていたら「安いやつだけどテレキャスあるじゃん」と思い出し、実家から埃と手垢と錆にまみれたこいつを救出してきた。
Julian Lage - "Nocturne" (Live In Los Angeles)
今はこんな値段では手に入らない一応made in japanのギターを復活させようとコンパウンド入りワックスで磨いてみたり、グラグラになっているジャックを交換してみたり。
なんとか12月の内に「あとは弦を張るだけ」の状態にする事が出来た。
大晦日。ようやく休みになった妻は正月の準備、子供たちは近所の従妹たちと過ごし、自分は洗濯掃除という感じになる。
せっかくSwitchが我が家にやってきたので自分で楽しむゲームはないかと検索して『ゼルダの伝説 Breath of The Wild』をダウンロードしてみる。
【500円OFFカタログクーポン対象商品(2021年1月31日まで)】ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド【Nintendo Switch】|オンラインコード版
- 発売日: 2017/03/02
- メディア: Software Download
過去にやっていたゲームが『Demon's Soul』だの『Oblivion』だの殺伐としたゲームの記憶しか残ってない自分の脳には新鮮な印象のゲームだ。(子供たちが寝た後にひっそりと続けている)
新型コロナの影響でいつもより人数の少ない、自分の親にも会わない静かな正月を過ごし仕事始めも新年の挨拶をメールで済ませ振り返るといつもより少しだけゆっくりした時間だったように思う。