~この世界を素晴らしく~

本を読み、映画を観て、音楽を聴き子供を育てる。「どこにでもいる誰でもない私」の日常の記憶。

『サンセット・パーク』 ポール・オースター 柴田 元幸訳 と『我等の生涯の最良の年』

 

サンセット・パーク

サンセット・パーク

 

 

 

原書では2010年に発行されたポール・オースターの小説『サンセット・パーク』

 

2008~2009年のリーマンショックの不況下、ニューヨークの外れの空き家に不法占拠の形で住む3人の男女とそこに加わることとなるマイルズとその両親達による群像劇。

 

マイルズは十代の頃に亡くなった血のつながらない兄の死に対する罪悪感から両親の元を離れ、隠れるように過ごしていたがある日恋に落ちた少女がきっかけでニューヨークに帰ってくることになる。

 

マイルズを招き入れる空き家の住人もみな同世代(三十手前)、うまく人生を生きられない事情を抱えながらもなんとか日々を過ごしている状態。

 

その中の一人アリスが博士論文として取り組む題材として往年の映画『我等の生涯の最良の年』がたびたび取り上げられる。

 

 

我等の生涯の最良の年(字幕版)
 

 

 

1946年公開の第二次大戦の帰還兵をテーマとした映画でウィリアム・ワイラーローマの休日ベン・ハー嵐が丘etc.)監督による名作映画。

 

戦争が終わり、故国へ帰ってきた3人の男たちが社会に復帰し、愛を取り戻していく様を描いたストーリー。

 

戦地での勲章も役に立たず職探しに困窮する元大尉のフレッド、かつての高給取りの仕事に復帰しながらも酒に溺れつつある元軍曹アル、両手を失くし義手で生きねばならぬ己の人生と婚約者との関係に悩む元水兵ホーマー。

 

『サンセット・パーク』と『我等の生涯~』は社会に対する生きづらさを抱えた者たちによる群像劇という共通項があるように感じるストーリーではあるが『我等の~』の映画の方は彼らを愛する女性たちの存在が三人の人生をより良い方向へ向かわせる流れとなっていくのに対して、『サンセット・パーク』に住む者たちは悩みを抱えたままトラブルに巻き込まれつつ物語を終える。

 

父親との関係を取り戻しつつあるマイルズの若干の希望を感じさせる終わり方で物語は閉じられるが、その他の者たちについては「最悪なんとか生きていくだろう」くらいのニュアンスしか感じられず、けっして明るい終わりではない。(そこが1940年代と2010年代の時代の違いというべきなのだろうか)

 

10年の間を置いて翻訳された『サンセット・パーク』をコロナ禍という新たな不安の時代に読む。

 

リーマンショックの頃、私も空き家の住人達と同じくらいの年齢で(29~30歳)結婚したばかりなのに大きな不況の波にさらされた。

 

幸いにもなんとかやっていく事が出来たけど、もしあの時独りだったら実はもっと酷い事になっていたのではと時折思うことがある。

 

もし『サンセット・パーク』の話が続いているとしてかつての空き家の住人たちはいまどうしているだろうか?自らを支えてくれる愛情を手に入れてあの映画の登場人物たちの様により良い人生に向かっているのだろうか?それとも…。