~この世界を素晴らしく~

本を読み、映画を観て、音楽を聴き子供を育てる。「どこにでもいる誰でもない私」の日常の記憶。

『A GHOST STORY』

グッドウィルハンティング』で覚えていて、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』での演技に心打たれた俳優ケイシー・アフレックが主演ということで気になり、予告のビジュアルで「絶対観る!」と思っていた作品。

 


映画『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』特報

 

小規模公開の作品であっという間に劇場公開を逃してしまい、ずいぶん遅れてようやく鑑賞。

 

ケイシー・アフレック演じる主人公の男は映画の序盤事故で亡くなる。

その後は予告でも登場のシーツをかぶった姿で現世にとどまる。

カップルだった女性と住んでいた家へと帰りただひたすら幽霊として過ごす彼の姿はもちろん生きている彼女やその他の人には見えない。

 

幽霊の彼も一言も話さずただそこに漂い続ける。

 

映画の大半で話さず、顔も見えないケイシー・アフレックの演技はけっして大げさな身振りをするわけでもなくただそこに”居る”演技をひたすらに続ける。

 

そのシーツの穴の目線の先にある状況(彼女の新しい恋人や引っ越し、新しい転居人家族の営み等)と言葉も表情もないお化けの対比はシーツの奥に潜む彼の感情を観るものに強く想像させる。

 

「誰からも見えず、他者とコミュニケートできない存在を表現する」ことは小説などの文章では決して出来ない表現で、この物語はまさしく映画だからこそのストーリーだと思う。

 

「亡くなった誰かが霊となって帰ってくる」っていうのは日本人的には「お盆」の感覚?

先祖の霊はお盆が過ぎればあの世に帰るけどこの映画の場合はずっと居続けるから「毎日がお盆状態」とでも言えばよいのか。

 

私たちが感じるお盆の霊は家族などの知った人の霊だから怖いわけではなく、離れてしまったその人を思い返したり懐かしんだりする存在だ。

 

しかしあの世に帰れない霊の立場になってみると自分以外の時間が過ぎて行く世界に取り残された寂しい存在だ。

 

この映画はもう会えない”あの人”を想像させる。

 

もしかしたらあの人も私たちのまわりで孤独に時を過ごしているのだろうか?

 

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映画とは関係ありません。お盆を連想させる近所の行事の一コマ。