~この世界を素晴らしく~

本を読み、映画を観て、音楽を聴き子供を育てる。「どこにでもいる誰でもない私」の日常の記憶。

『生きるということ』 エーリッヒ・フロム

 

生きるということ 新装版

生きるということ 新装版

 

 

 

1976年に出版された心理学、哲学者エーリッヒ・フロムの著作の新装版を読む。

 

原題は『to have or to be』となっていて現代社会における生き方を”to have=持つ様式”と”to be=ある様式”の二つに分けて考える。

 

産業化以降の社会において人はあらゆる場面において所有する(持つ)ことを重視して富を増やし、さまざまな物(家や車などの物質に限らず所帯や夢、成功などの概念的なものまで)を手に入れることを目的として生きている。

 

しかし際限のない貪欲の追求は限りある資源である地球に住む人類をいずれ破滅に追いやり、満ち足りることのない欲望は常に個人としての人の苦悩の原因ともなる。

 

そういった社会的破滅を回避し、また人としての苦しみからの解放を目指す生き方として提示されるもう一方の”to be=ある様式”。

 

”持つ”ではなく”ある”という生き方の提示として引用されるの初期キリスト教の教えやブッダなどの宗教からの言葉に加え、カール・マルクスの考えも参照されているのが意外だった。

 

社会学や経済学とは無縁な私にはマルクスといえば『資本論』と共産主義思想の元祖くらいの認識しかなく、本書で紹介される人々を富を手に入れる為だけの生活から解き放とうとする意図での社会変革を目指した考えとの指摘が新鮮だった。

 

さらには1976年の時点で既にマルクスの考えが歪曲され利用された現実の社会主義体制(ソビエトなど)の失敗を指摘している点もこの本の古さを感じさせないポイントだった。

 

また富を得る労働からの解放として最近のコロナ禍でも話題となったベーシックインカム的提案も取り上げられている箇所にいたっては読みながら本当に40年も前の本なのかと疑ってしまった程だった。

 

ブッダの思想についてはこの前に読んだ柴田勝家のSF短編『アメリカン・ブッダ』とリンクする内容でもあり、生きる煩悩からの解放というテーマが本書でも語られる。

 

theworldisafineplace.hatenablog.com

 

聖書にあるキリストの言葉の引用の中では有名な「心の貧しい人々は幸いである」が以前に読んだ遠藤周作の『イエスの生涯』からずっと心に引っかかっていた一文だったのを思い出した。

 

原始キリスト教が徹底的に貧しきもの、持たざる者の側に立つ(当時は異端の)思想だったものが、時を経て大衆や体制の中で変容してしまったことはマルクスとも重なる部分であり、”ある様式”の思想が人々を導くことの難しさの例にもなってしまっているようだった。

 

いま人類は悪しき方向へ進んでいるのだろうか?それとも良くなっている?

 

どちらとは断言できないが悪い方向へ向かっていると感じる場合が多いのも事実。

 

ブッダやキリストの言葉は2千年もの時を超え人々に伝わり、マルクスの思想は数多の革命家に影響を与え一時は世界の半分近くの国家が社会主義的体制だったことを思うとカリスマ達の生み出す優れた思想(ストーリー)は多くの人に伝播することは間違いない。

 

しかしそのラディカルな思想は大衆性を獲得する過程や政治体制による利用を経て当初の「人類を解放し、世界をより良く導く」という目的からは乖離してしまう。

 

この幾度も繰り返す人類の失敗を克服し、現状の”持つ様式”の生き方を否定して、本書でフロムの掲げる”ある様式”で生きる社会(富や物質を追わず、福利の追求を目指し、個人の成長のために生きる社会)に進む選択をすることが我々にできるだろうか?

 

To be, or not to be, that is the question.

このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ

小田島雄志訳 『ハムレット